生きるという意味
私の義理の父は大腸ガンを患ってかれこれ、3年以上がたつ。色んな病院で治療をしたが、
癌という病気はやはりやっかいな病気だ。どうして簡単に治らない病気なのか?つくづく
感じるときがある。この3年間、感じたのは、体の病気というよりは、今までの考えた思考や、
口癖、栄養バランスのどれかが欠けることによって起きるのではないかと思うことが多かった。
じゃないと、義理の父より不摂生な生活をしてる人が何千万人といるのに、
彼らにはなぜそれが起きないのか?説明がつかないからである。
それはさておき、私の父は、現在チュラポーン病院にお世話になっている。
この病院ですが、チュラポーンとは、ナイルアン(ラーマ9世)の3女のお名前で、
もともとお体が弱く、それがもとに、国民の為に癌研究センターを作ったのが最初であり
その後施設病院やホテルなどが設立されていったのが始まりと聞いてます。
タイ国内では屈指の最新先端のガン治療が受けられる。ガン専門病院です。
しかし、国の制度上治療や入院が誰でも出来る病院ではなく、何らかのコネクションや病院の移動許可の証明書
が必要です。。
タイの医療制度のパカーンサンコーンが必要になるため、
この制度では自分の居住地区の病院が決められていて、誰でも好きな病院で診察してもらえません。
しかし、タイへ長く住んでいる方ならご理解できると思いますが、
職員に知り合いがいたり、他の病院からの推薦状があれば
入院や診察が可能になる場合があります。
しかしこれは簡単ではありせん。運とパワーがなければ、
うまく運ばないことを長く住んでる方ならきっとわかってもらえるとおもいます。
義理の父もそうで、コネクションのおかげで病院にお世話になっています。
王立病院なので国王の病院です。
日本の病院以上のサービスが備わっています
当然ある程度、タイ語か英語が話せないときついですが。
ヤームから、看護婦、医者に至るまで、全力で国民のことを考えて
行動しているのが肌で感じること多いです。全てにおいて患者を思い行動している病院です。
当然バンコクにもたくさん病院はあるのですが、
どうしても私には、病院というよりは
商売を優先にしてるようにしか思えないことが言動が多く
それに比べればチュラポーン病院は
心意気や患者への愛の思いは雲泥の差を感じます。
義理の父は、最高の治療を受けても治る兆しがない。
その中で、生きるとはなに?
生き続けるとはどういうこと?
何の為に起きているのか?
考えさせられてことがあります。
義理の父が言った言葉忘れられない。。。。
もともと、存在しない命が、
あるということが不思議なことで、
全ては、偶然と運で作られたもの。
今はすべての事にこだわりを持たないようにしてる
悲しかったり、くやしい思いもしたが、
今はこだわりを捨て、縁と仏に感謝をしていると。
最初は理解できなかったが。。。。
確かにこだわりは、
大きな力であって、諸刃の剣であると。
義理に父にとって最大の病気は
こだわりであったと気づいたそうです。
もともと義理の父は
中国から移民で船に隠れて密航し、タイにたどり着き、
その後。。。中国での同じ村出身の人たちから金を工面してもらい
それをもとに、
商売を始めた、たたき上げの中華一族なので、そりゃ~強いこだわりと
生き残る信念がないと、一族は残せません。
それは私も同感です。
当時は喰うので精一杯の時代なのでなおさらです。
義理の父の本位はもともと今あるものは、
存在してないもの。たまたま成り立ったものであり、
明日同じようにあると補償があるものでもなく、
絶対的なものなど、世の中にない。
だからこそ、縁や偶然に日々感謝したり、
口に出して感謝の言葉を出す。
自分のセンサーを信じて
ここぞと思ったら、こだわりを捨て
信念やこだわりを捨てて行動しないと結局は。。。
自分に苦痛が訪れると。。
私を諭してくれたような気がします。
私も存在してないところからスタートしてる日々、
じゃなければ、こんなことも書いてないでしょう。。。
偶然で学んだことに感謝して、明日の誰かの為に伝えていきたい。